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 このブログでは,CONFLEXと呼ばれる 計算化学システムの開発陣が,計算化学を応援するための記事と,それと無関係(?)なネタや画像(写真)をアップしていく予定です.





 内容はどうしても化学者向けが中心になるので,一般の方には化学業界用語(?)などちょっと難しいかもしれません.けど,できるだけわかりやすく書いていきたいと思います.



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2007年3月24日土曜日

「計算化学事始め」

 アインシュタインを例に出すまでもなく、天才ってすごいですね。S堂の辞書に依れば天才は「生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主」を言うそうです。まあ、通常の人よりも優れた能力をもって、それが社会に認められた人を天才というのでしょうね。いくら天才的な能力を有していても、社会に認められなくてはただの普通の人ですものね。私の身近にも、天才的な能力を持ちながら、まだこの世に十分みとめられない人が沢山います。でも天才は何となく正しい結果を出すのです。

 筆者が学生の頃は、計算化学事始めとして、まずヒュッケル法を習いました。実は筆者はちゃんとハートリーフォック法を講義で習った初めてぐらいの化学の学生です。でもハートリーフォック法は 難しくて、式だけでは良く判らず、まあ、判らなくてもプログラムは動かせるので、実際の分子を計算するのですが、無免許運転で車を運転するより難しくて、 答えを見ても何がなんだか良く判らないのです。車の運転より計算化学が難しいというのは、無免許でも安全に目的地に着ける事があるけど、計算化学ではなか なかそうはいかないからです。むしろたいていはドジをふみます。例えば分子構造が対称なのに答えが非対称、つまり計算間違いなんて事は普通にあって、問題は計算間違いに気づかないことなのです。話が飛んでしまった。

 ところがヒュッケル法は、行列が簡単で、ヒュッケル法のプログラムを作って波動関数をいじり回していると、なんか電子状態が判ったような感じになるのです。もちろん対称性なんて崩れません。フォック行列の非対角項の行列要素の計算は複雑で大変です。それをヒュッケルは、行列の非対角項を炭素―炭素なら1に置けというわけです。そのような行列を対角化するとベンゼンナフタレンπ電子状態がちゃんとわかるのです。天才恐るべし!!

 もう一つ天才恐るべしの例は、ボーアの2次元的な素朴な電子模型が与える水素原子の離散的なエネルギーレベルとその平均半径の表式が、3次元のシュレディンガー方程式をちゃんと解いたものと形式的に全く同等であるということです。ボーア模型は前期量子学で習いますね。もちろんこの模型からは角運動量スペクトルの選択則などについては全く何も言えないのですが、それにしても、一番大事なエネルギー表式が合っちゃうなんて。天才というのは何か判らないけど正確に正しくたどり着けるのですね。


 寺田寅彦の随筆に「科学者とあたま」と題したものがあります[1]。その中の一説...

「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。」

筆者は妻に恋したのですが、頭が良くないことを悲しむべきか悩むところです。でもあのアインシュタインだって恋文を残しています。


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Reference:
  • [1]「寺田寅彦随筆集 第四巻」,小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店,1948年.


2007年3月16日金曜日

「計算化学は役に立つの?」

前回のCONFLEX iNSIDEは...


 計算機シミュレーションは自然現象を探究する方法でありながら、自然そのものを対象とした実験ではなく、量子力学という理論を基にした数値実験です。理論はもともと人間が考えたものであり、実験的観測をわかりやすく説明できる限り有用です。もちろん実験事実を説明できなくなった理論は捨てられます。量子力学の発展も黒体輻射を上手く説明できることから広く受け入れられるようになりました。まあ理論であったものが信仰として残ることは多くあります。事実の説明はその多くがこじつけであることもあります。そのため、事実を説明することに成功した理論が、さらに普遍性を主張するには、将来観測されるであろう現象を予言することが求められま す。通常そういった未来の予言のためには、理論から高性能計算機をふんだんに使った莫大な計算をへて結果を得なければなりません。

 初期量子反応化学理論とでも言うべき福井謙一博士のフロンティア軌道理論は、 反応選択性の説明に成功し、さらにその説明に従う多くの新たな反応が発見されたことによって、有機化学反応論における普遍的理論としての地位を築き、1981年にノーベル化学賞を与えられました。計算化学の手法のひとつである分子軌道計算は、フロンティア軌道理論の理解と普及に大きな役割を果たしました。最近では計算機の発展とともに、大規模な系の分子軌道も計算できるようになってきており、生体反応なども計算化学で取り扱えるようになってきました。フロンティア軌道理論のすごいところはいろいろあるのですが、最高占有軌道(HOMO)と最低非占有軌道(LUMO)の形をみれば反応中心が推定できるという点が、大規模な生体分子の反応を解析する際非常に役に立ちます。

 図は、約2,000原子からなる小さなタンパク質のフロンティア軌道です。左側のローブがHOMOで、右がLUMOです。宇宙空間にこの分子を浮かべると、どこからかゆっくりと飛んできた電子は、図の右側のLUMOに取り込まれます。ちょっとすごいでしょ。


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2007年3月10日土曜日

「計算化学の計算結果はいつも正しいの?」-浮動小数点演算の落とし穴-




 計算化学に限らず、計算機上でソフトウェアを走らせれば、なんとなく“数値”は得られます。計算機を使う上で重要なのは、得られた数値の信頼性・妥当性を注意深く吟味しながら、計算結果から(計算化学の場合は化学的に)重要な知見を得ることです。問題の規模や質に対して近似法の向き・不向き、あるいはソフトの得て・不得手もあります。こうした計算の限界や制約を考慮すれば、計算機シミュレーションは(計算化学は化学の)研究開発の有用なツールとなります。反面こういった吟味無しに利用すると手痛いしっぺ返しにあうこと請け合いです。

 落とし穴の簡単な例をご紹介します。私がこの例を知ったとき、
なんか頭をごつんとやられた感じ

がしました。S. M. RumpがRound off errorの例として、"Reliability in computing: the role of interval methods in scientific computing" に紹介したものです [1]。Round off errorは、日本語では、情報落ちとして知られています。計算式は浮動小数点演算が40回程度のとっても簡単なものです。


  f(x,y) = 333.75y6 + x2(11x2y2 – y6 – 121y4 – 2) + 5.5y8 + x/(2y)

x = 77617, y = 33096の時、SUN SPARCstation/SLCでFortranプログラムで計算すると、

  (単精度) f = 6.33825 × 1029
  (倍精度) f = 1.1726039400532
  (4倍精度)f = 1.1726039400531786318588349045201838

正しい値は、可変長区間演算を用いて40桁表示すると、

  (-0:827396059946821368141165095479816292005,
   -0:827396059946821368141165095479816291986)


です。つまり、正しい答えは負の値(-0.83)ですが、計算値は正の値(1.17)です。一般に単精度演算より倍精度演算のほうが精度が高く、倍精度より4倍精度の方が正確ですが、このような背筋が寒くなるような例もあります。確かに計算機で用いられている浮動小数点演算は誤差が大きいのですが、たかだか40回程度の浮動小数点演算でこのようなことが起こることは驚きです。現在、ノートブックPCでも1秒間に1億回以上の演算が可能です。得られた答えの信頼性・妥当性を注意深く吟味するためには、計算対象に対する広い知識と洞察力が必要です。

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Reference:
  • [1] Siegfried M. Rump, "Algorithms for verified inclusions - theory and practice" in "Academic Press Perspectives In Computing; Vol. 19, Reliability in computing: the role of interval methods in scientific computing", Ramon E. Moore, Ed., Academic Press Professional, Inc., San Diego(CA), 1988, pp. 109-126.





2007年3月5日月曜日

「計算化学と実験化学のちがいは何?」


 化学は自然界における物質の性質の測定(what)とその性質の解明(why)を通じて得られた知識を元に、自然界にはない“人類の生活に有用な”新たな物質を如何に(how)作り出す事を目的とした学問領域です。(少し言い過ぎか!?)そのため、物質の測定分野として物理化学が、新たな物質を作り出す分野として有機化学無機化学の分野があります。“人類の生活に有用な”物質に関するあらゆるものが化学の対象です。人類は地球上に現実に存在する物質ですので、化学は基本的に地球上の自然にあるものを対象とする実験化学の一分野として発展してきました。そのため、実験化学は記録に残っているだけでも、数百年に及ぶ長い歴史を持っています。

 他方、計算化学は1920年代に誕生した量子力学にその基礎をおいており、1950年代初頭に産声を上げた電子計算機の発展とともに成長して来ました。一番簡単な分子であるH2+分子イオン(Burrau [1])とH2分子(Heitler-London [2])が(計算尺で)計算されたのは、1927年です。同じ年に今でも広く用いられている平均場の考え方「原子核と他の電子によって作られる平均的な場の中を分子内の電子は運動する。」がHundによって提出されています。2年後の1929年にはニュートンに並び称される大物であるDirac(現代のニュートンは車いすの天才ホーキングでしょう。)が「量子力学の一般的理論は、今やほぼ完成し(中略)したがって、物理学の大部分と化学の全体の数学的理論に必要な基礎的物理法則は完全に判っていると言うことであり、困難は、ただこれらの法則を厳密に適用すると複雑すぎて解ける望みのない方程式に行き着いてしまうことにある。」(訳:藤永茂、「分子軌道法」、岩波書店、1980年)と言い切っています [3]Mullikenの「分子軌道法」が1932年 [4]、1939年には学部学生であったFeynmanHellmann-Feynmannの定理として知られているいくつかの定理のうちの静電定理が発表されています [5]。(昔は若くして論文書いていたのですねー。)1920年代はEinsteinをはじめとして物理のきら星たちが重要な理論を発表した年代です。Fermiの指導で1942年に臨界に達したシカゴ大の原子炉は計算尺を使った設計ですしねー。うーん。すごい。ああ、なんか歴史を語ってしまいました。

 地球上に存在する物質を対象とする実験化学と違って、計算化学は量子力学を元にいろいろな近似を加えた方程式を電子計算機を使って解く分野です。計算化学における方程式と電子計算機が実験化学におけるビーカやチャンバーです。そのため、計算化学は100年の歴史を持たない若い研究分野です。計算化学が実験化学者に欠かすことのできないツールとして認知されたのは、ここ20年ほどの事です。それには、電子計算機の急速な性能向上とGaussianシリーズをはじめとするソフトウェアの発展と普及が不可欠でした。今では分子の配座探索にはまずCONFLEXを用いた解析がなされ、その後で実験的に確かめられるといったように、計算化学が完全に化学研究に取り込まれています。

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References:
  1. [1] Ø. Burrau, "Berechnung des Energiewertes des Wasserstoff Molekel-Ions (H2+) im Normalzustand", Det Kgl. Danske Videnskabernes Selskab, Mathematisk-fysiske Meddelelser, VII, 14 (1927).
  2. [2] W. Heitler and F. London, Zeitschrift für Physik, vol. 44, p. 455 (1927). English translation in H. Hettema, Quantum Chemistry, Classic Scientific Papers, World Scientific, Singapore (2000).
  3. [3] P. A. M. Dirac, Proc. R. Soc. London, Ser. A 123, 714 (1929).
  4. [4] Robert. S. Mulliken, "Electronic structures of polyatomic molecules and valence.", Phys. Rev., 40, 55-71 (1932); "Electronic structures of polyatomic molecules and valence. II. General Considerations", Phys. Rev., 41, 49-71 (1932); "Electronic structures of polyatomic molecules and valence. III. Quantum Theory of the Double Bond", Phys. Rev., 41, 751-758 (1932).
  5. [5] R. P. Feynman, "Forces in Molecules", Phys. Rev., 56, 340-343 (1939).